年があけて9日目にしてよーやく初の日記となりましたが、
今年もどうぞ宜しくお願い致します!
今、このブログを書きたいと思ったのは、今朝観ていた「NHK生活ほっとモーニング」で、末期がん患者のリハビリについて紹介していて、その意味と有効性に軽くショックを受けたからです。
なので少々ブヒブヒ鼻息荒いです(笑)
私も、末期がん患者にもリハビリが行われていることを知ってはいたのですが、若い患者にならともかく、うちの母のように80も過ぎて弱っていて、しかも余命の迫ってきている患者にまで運動機能の回復を期待してリハビリさせるのは酷過ぎるんじゃないんだろうか、、と思っていました。
しかし、今日のテレビを観ていたら・・、
緩和ケア病棟に入院している末期がんの82歳の女性が、
「もう充分生きたから長生きはしなくても良いんだけれど、トイレだけは自分でいけるようにしたい」
という希望があり、吐き気止めの点滴を受けながらまずは座れるようになることを目標にリハビリを始めると、人につかまって立ったり、バーにつかまって少しだけ歩けたりするまで体に力が戻り、お正月の三が日を自宅に戻って過ごすことができました。
うちの母も亡くなる前日まで短時間なら座ることができましたが、この「座る」ということだけでも、骨盤が立つ姿勢をとることで腹筋背筋を使うので、その部分の筋肉や内臓の機能の衰えを減少させることができるそうです。
また、やはり末期がんで緩和病棟に入院していた女性は、病院側からリハビリを勧められたときは
「もうすぐ死ぬのに、どうして今さらリハビリ??」
と思ったそうですが、いざ始めてみると、衰えていた筋力を取り戻し一人で歩けるようになった上、肺にたまっていた水まで消えていました。
「病気になってから、小さなことがすごく嬉しい」
という彼女は、まずは友人が企画してくれたバースデーパーティー会場に一人で行くために、2階まで階段を登れるようになりたい、という目標を設定し、それが達成できると次は美術館に行く目標を設定。
そして、自分で身の周りの品を片付けて、緩和病棟から退院し、春になったらゴルフの練習をしたいと笑っていました。
今ではリハビリそのものが楽しみの一つでもあるそうです。
さらに、「自分が嫌になった」など、悲観的な言葉ばかりが増え食欲も表情も失せていた50代?のある女性は、”まくらめ”(指をつかった編み物)をやってみると、両手を震わせながらもゆっくりでも編み進め、穏やかで優しく可愛らしい笑顔を取り戻していました。
その表情を見ていたら、なんかもう・・、泣けました。。
母が亡くなる1週間くらい前のことだったと思いますが、
幸せなことに最期まで食への興味だけは旺盛で、年中、色んなものを食べたがった母が”キクラゲ”を食べたいと言い出し、なおかつ、そのキクラゲを自分で戻したいと言って、ベッドテーブルまで水とボウルとキクラゲを持ってこさせ、ボウルに入れたキクラゲがどのくらい柔らかく戻ったか自分で確かめながら、1時間近くかき回していたことがありました。
それはなんだかとっても滑稽な様子で「お母さん、いつまでやってるのよ〜?」なんて笑ってたんですが、今思えばあれだって脳や体にとって立派なリハビリになることだったんです。
そういえば、庭いじりが一番の趣味で最期まで庭を見たがった母は、植木を自分で植えたいと言って、部屋の中で小さな花を小さな鉢に植えたこともありました。
ああいったことも、その時だけでなく、もっとさせてあげられれば良かった。
(といっても、最期の頃は私自身が心身供に一杯いっぱいになっちゃってたんですが・・)
末期がん患者にとってのリハビリは、体の運動機能を取り戻すだけじゃなく、より多彩な行動を可能にし、意識を覚醒させ、楽しみを作り、社会とのつながりもつくる。
驚いたのは、かなり体力の落ちた高齢患者にもそれなりのリハビリが可能で(嫌がる患者に無理強いはできないにしろ)、有効であり、始終寝ていることで引き起こされる廃用症候群を防げる、という点。
もしかしたら、母がずっと悩まされていた全身の浮腫も、リハビリをやれば、もう少しは解消できたんじゃないだろうか・・。
いや、きっとそうだ。
体が弱ってしまってからは、例えば訪問マッサージのように、母が自分で努力せずに受け身で楽にやってもらえることの方がより良いように考えていたけれど、リハビリを導入すれば、もっと自分の力を発揮する喜びを見つけられたかもしれない。
番組で紹介されていた患者さん達の変化に感動したと同時に、わかっているつもりだったことが本当は全然わかってなくて、末期がん患者のリハビリについて無知だった自分へのニガイ後悔も深く感じました。
母の在宅を支えてくださった医療者やコ・メディカルのスタッフとしては、主治医であるドクターを中心に、ソーシャルワーカー、訪問看護師、ケアマネ、訪問歯科医、訪問マッサージ師などをお願いしていましたが(ご近所のお友達の訪問なども大きかった)、ここにリハビリのための理学療法士が入れば、母の不快症状はもっと軽減できて、よりQOLの高い最期の日々を過ごせたかもしれません。
また、起き上がらせ方や立ち上がらせ方を教われたら、介護する私の体への負担も減り(膝も腰もギリギリでした)、その分だけもう少し余裕をもって介護できたかも。
(ちなみに、古武術を使った介護は役立ちました)
そしてこれを書いている間にも、心模様はどんどん移り変わっているのですが、
在宅介護するにあたって自分なりに情報収集しまくって、かなり良い在宅ホスピス医を探し当て診ていただいた我が家でさえも、
専門の理学療法士によるリハビリはやっていなかった、
それ以前に、その可能性や有効性を知らなかった、
っつーか、誰からも勧められなかったどころか教えてさえもらえなかった
といったことを理不尽に感じ、腹立ち始め、つまりはニガイ後悔から逃げるために、在宅を支えられてないこの社会の未熟さが悪いと結論づけようとしているところです。
(余談ながら、私はいつも「怒りは悲嘆に比べればエネルギッシュだ」と思っている)
国は医療費節減のため無責任なほど安易に在宅を勧めますが、社会の方はそれを支えられるほどには育ってないんですよね。
と、
せっかく社会への怒り系に思考回路を転換できそうだったところなのに、自分に不利なことをもう一つ思い出してしまいました。
最初に書いた女性と母は同じ82歳でしたが、母もよくトイレだけはできるだけ自分で行きたいと言っていました。
介護体験のある方ならおわかりと思いますが、例えば、ポータブルトイレを使うにしろちょっと歩くのを支えるくらいで一人で用を済ませてもらえるなら、それは介護者にとって本当に助かります。
でも、そうではない場合、むしろ寝たままオムツ替えする方が介護者の労力はずっと少なくて済み、ぶっちゃけ楽なんです。(汚したあちこちの掃除や体を支える力仕事が少なくなるため)
体の弱った母に、体力消耗しちゃうから無理してトイレに座らなくてもいいよと言ってた私は、内心、頼むからトイレチャレンジはやめてくれ〜〜という気持ちがあったんですよね・・・。
でもでも、リハビリの可能性や有効性をよくわかってたら、私だってリハビリを取り入れてトイレのことももっと良く考えたと思うしーー、と、Mの趣味は無いので、とりあえず今更遅い後悔に浸るのはやめやめ。
とにかく、今後は高齢化社会どころか大量死時代が来ると言われているのに、余命が短いだろう患者達の暮らし方、生活のし方へ情報が少な過ぎると思います。
私が母の在宅介護をしていたプロセスでは、その道の専門家であるはずの市の福祉課の人や、ケアマネージャーを職業にしている人や、総合病院のソーシャルワーカーでさえ、私以上に末期がん患者のケアについて知らず、頼りにできない専門家達と何人も出会い、心底ガッカリすることが何度もありました。そしてそのたびに悲嘆のち怒りを繰り返してきました。
(それだけに、頼もしく温かい在宅ホスピス医や、その病院の医療コーディネーターに出会えた時は嬉しくて嬉しく泣けました)
病と闘ったり、つきあったりすることにおいても、人間、自立は必ず必要だと思ってます。
でも、人が一人じゃ生きられないのも当たり前のことで、支え合いも不可欠。
ましてや、在宅でいくってことは、入院よりも患者と介護者の自立が必要な分、サポートが肝心。
感じたこと思うことを備忘録的にランダムに書きなぐってきましたが、母が亡くなった今も、緩和、在宅介護等へのこだわりが消えることは無さそうです。
つまるところは、「メメントモリ」ってことですな☆
新年第一発目からダ〜ラダラ書きまくって疲れた挙句、トートツに終ることを何とぞ容赦のほど・・。
HP